『萩、松下村塾』

更新日:2018/09/07

松下村塾は、萩の松陰神社の境内の中に現存しています。
長州出身の明治維新の立役者の多くがこの私塾の門下生で、先生はかの有名な吉田松陰です。

この松陰先生、なにが凄いかというと、藩から先生として扱われるのがすっごく早いんです。
昔読んだ司馬遼太郎先生の小説の記憶が曖昧なので、下記は敢えてググった情報です。
    9歳で、藩校明倫館の兵学師範に就任
    11歳で、藩主・毛利慶親への御前講義
    13歳で、長州軍を率いて西洋艦隊撃滅演習を実施
この経歴マジ?!って思いませんか。


吉田松陰は刑場で亡くなった後、回向院に埋葬されましたが、
松下村塾門下生によって東京世田谷の長州藩主の別邸に改葬された際に、
祭神として祀られて、松陰神社が創建されたそうです。
その後、萩の松下村塾にも松陰神社が創建され、
松陰神社は世田谷と萩の2ヵ所にあります。


「親思ふ 心にまさる 親心 けふのおとずれ 何ときくらん」
写真は、家族宛ての手紙に書かれていたこの辞世の句の解説です。

吉田松陰は、長州 萩の片田舎で小さな私塾を営んでいた人ですが、
全国あちこちを旅して高名な学者と親交を深め、
若くして有名な兵学者であり思想家であり教育者でした。
徳川幕府にとっては超一級の反政府的思想家であったため安政の大獄で捕えられ、
小伝馬町の牢獄に収監されたのち処刑されています。享年は30歳だったそうです。


「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」
日本橋小伝馬町の牢獄跡には石碑があり、弟子たちに向けたこの辞世の句が残っています。

私は、中学生の頃に図書館でこの句に出会い、ノートに書き留めました。
多感な青少年の心を揺さぶる教育者だったのは間違いありません。


以上です。