『行ってきました弘前へ その3 ~長勝寺~』

更新日:2018/03/23

弘前市リンゴ園から弘前市内へ戻る際に、津軽家の菩提寺「長勝寺」に立ち寄りました。
このお寺、元々は西津軽郡鰺ヶ沢に建てられていましたが、
徳川幕府成立後、津軽藩が弘前に居城を定めた後にこの地に移転されたそうです。


これが長勝寺三門です。
結構大きくて、長年の風雪に耐えてきた厳しさのある風格を感じます。
左が表側で右が裏側からの写真です。
裏側からの写真をよく見ると、向こう側に小さな門があります。
これは長勝寺の敷地を道路と区画している門で、その先にまっすぐ巾の広い道路が延びているのが判りますでしょうか。
この道路が禅林街と呼ばれる道で、その先に禅林街の黒門があります。
写真ではそこまでは見せませんが、現地に行くとちゃんと見えます。


左写真が弘前城側から見た黒門です。右写真は黒門をくぐって禅林街を撮ったもので、突き当りに長勝寺があります。


禅林街は、長勝寺を含む33の曹洞宗の寺院が並木道に沿って建っていることからこのように呼ばれているらしく、
それぞれのお寺は藩士の菩提寺であると共に、この街自体が弘前城の出城として意図的に形成されたものである。
と黒門脇の説明板に書かれています。
物騒な話ではありますが、西洋東洋を問わず宗教と武力は密接な関係にあるようです。

津軽藩は藩祖である津軽為信が、戦国時代後半に南部氏からの独立戦を勝ち抜き、
権謀術数をもって「津軽独立」を豊臣秀吉に認知させ、
さらに関ヶ原の戦いで徳川方につくことで藩として成立させたとされています。
同じ青森県であっても「津軽と南部は県民性が違う」とテレビでも度々紹介されていますが、
県民性の違いは、地理的な要因の他に、この辺りの背景が関係しているようです。


以上です。